『鳥類学者のファンタジア』
portrait 解説を書いてくれた山下洋輔さんが曲を作ってくれました。
文庫版発売を記念して、演奏することになりました。録音風景と演奏はこちらから

 僕はいままでサイン会というものを何度かしたことがある。そこでふと気づいたことがある。サインを求めてくる人の九割までが男性なのである。男ばかり。むろん男だろうがなんだろうが読者がいるだけ本当に有り難い。ありがとうございます。とはいえ、こう女が少ないと、これ、どういうこと? と考えざるをえない。って、考えるまでもなく、早い話が女性にまるで人気がないのでした。

 どうせそうさ、と思いつつ、やはり残念でならない。だいいち、女性読者がついてくれないと、本が売れないという大問題もある。そこで僕は、女性読者獲得に乗りだし、そうして書かれたのがこの作品だ。主人公は三六歳の女性ジャズピアニスト。主人公を女性にすれば、女性が読んでくれると考えるほど、僕も浅はかじゃないが、じゃあ、ほかにどんな作戦があるんだといわれると困ってしまう。あ、そうだ。猫が出てきます。猫が。あと旅。それもヨーロッパとニュヨーク。猫と旅。どうです、読みたくなったでしょう、って、これは冗談です。とにかく女性に読んで欲しいと思っていたら、知り合いの女性(34歳独身)から、「これってSFでしょう。SFは一般に女性は嫌うわね」といわれ、愕然としました。作品全体にSFの趣向があるのはたしかです。それは事実です。でも、本当なんでしょうか。女性がSF嫌いだというのは。そんなの嘘ですよね。

 僕自身はSFはわりに好きで、よく読む。この作品は、たとえばハインラインの『夏への扉』、ああしたものの持つ幸福感、それを再現してみたいとの欲望につき動かされて書かれたともいえる。実際、僕が書いた小説のなかでは、最も幸福感の溢れたものだと思います。とりわけラストの、ニューヨークはミントンズ・プレイハウスで、主人公が若きマイルスやソニー・ステットらとセッションするあたり、幸せはここに極まれり、といった感じがします。書いているときも、幸せでした。そんなことはめったにないのですが。

 私事になりますが、って今さらな感じもするわけですが、この作品は、わが家に子供が生まれてからはじめて書かれた小説です。幸福感は、その辺にも由来するのもしれないと、いま思いつきました。

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