2007年<中元>観劇日記
今日は7月21日。「今日から夏休みに突入!」とTVのバラエティ番組はうたうが、芝居人の我々には関係ない。大体'今日から夏休み' の人たちってダレ?とうちの男前俳優牧野くみこならツッコムだろう。いわゆる学生諸氏ですかね、この特権を行使できるのは。しかも高校生以下限定。我々に夏休みが関係があるとすれば、公演日を決める時でしょうか。「この時期だと大学生のお客さんが夏休みに入ってるし」とか、「この時期はもう冬休みに入ってるから、東京にいない」とか。学生さんをターゲットに考えると結構難しいんですね。

さて、6月〜7月初旬は関係者の芝居が多かったとはいえ、シェイクスピアものが4本もあったとは、東京もロンドン並になったものです。
*「オセロー」
観劇日:2007年6月5日 マチネ
ASC新人公演 演出:彩乃木宗之  於:銀座みゆき館
 TSCの3月公演に出演した役者が出るとのことで、初めてASCの舞台を観る。「4人の俳優でシェイクスピア」シリーズは魅力的な試みで一度観てみたいと思ったが、この新人公演は新人公演以外の何ものでもなかった。オセロー役は終始無表情で、目をつむっていることが多く、膨大なセリフを発音してはいるが、オセローの心の内で何事が起こっているのか全く理解していない。イアーゴ役もセリフを回してはいるものの、あれだけの行動とセリフを発するだけのエネルギーとなっている感情が何なのか、全く気付いていない。しかも演出の手法が、新人を使ってみせるには難しい手法だったのではないだろうか。
*「夏の夜の夢」
観劇日:2007年6月7日 マチネ
演出:ジョン・ケアード   於:新国立劇場
これも関係者が出演している舞台ではあったが、当然のことながら、ケアード演出なのでかなり期待して観に行き、肩すかしを喰らった。セットとオーケストラは良かったが、あとは面白くないのである。学園祭などでみかける舞台の方がよっぽど刺戟的でエネルギッシュだとさえ言える。演出はオーソドックス(男性・父親の権力が強い演出は別段新しいとは言えない)なのに、恋する若者たちの喜劇的部分ばかりがたっていて、'哀'の部分が欠落した恋愛物語になっている。パックの存在感も、時には芝居全部をさらってしまうはずの職人たちも存在感が薄く、キャラクターがはっきりしない為、最後の劇中劇が退屈だ。加えて貴族たちや、妖精の王、女王が喋るべき美しい'詩'にのせた感情の吐露がなく、バランスの悪い仕上がりとなった舞台であった。
*「こころ」
観劇日:2007年6月8日 ソワレ
シェイクスピア・シアター公演  脚本・演出:出口典雄 於:俳優座劇場
やはり関係者の出演している舞台だったので、あえて「ヴェローナのニ紳士」ではなく、出口氏の新作「こころ」を観に行った。
俳優座という大きい空間ではなく、もっと狭苦しい小劇場で観ると面白かったかもしれない。演出が一時代前の前衛芝居のような空気をかもし出しているが、空間を埋め切れてないのが残念である。雨の中、傘と傘がぶつかり合う中歩くさまをみせる主人公の心の葛藤のシーンは、若い役者たちに、鍛錬されたアングラ役者たちからもっと学んでほしいと思った。
*「ヘンリー四世 第一部」
観劇日:2007年6月16日 マチネ
  演出:遠藤栄藏 於:板橋演劇センター
ヘンリー四世の第一部・第二部の一気上演という試みには拍手を送りたい。羨みの気持ちも添えて。ただ、あまりにセリフのとちりが全体にひどく、結膜炎になってしまったこともあり、第二部も観る予定だったが、第一部だけで失礼した。
衣裳も、せっかく作るのであれば、舞台効果をそこねるものではないものになるよう一考をお勧めする。
*「国盗人」
観劇日:2007年7月4日 マチネ
  作:河合祥一郎  演出・主演:野村萬斎 於:世田谷パブリック・シアター
ご覧になった方も多いだろう。さすがに古典のプロがつくった舞台だけあって、美しく、かつ合理的に古典の手法を取り入れていた。悪三郎(リチャード)を王に、とロンドン市民に言わせたいあたりの客席を使っての演出や、最後の決戦を前にしての、亡霊の出る悪三郎にとっては悪夢、りちもん(リッチモンド)にとっては吉夢の処理など、楽しめた。松井るみ氏の舞台も美しく、河合氏の本も、日本語としてレベルの高い、面白い脚本に仕上がっていた。
ただ、「リチャード三世」にはあるリチャードの悩み・苦しみという'負'の部分がなく、痛快な悪党としての面しか表出していないのは残念。白石加代子が女役を全部演じるというのも、演じ分けができていないだけに、原作を知らない人には誰なのか分からず、ねらいも今一つはっきりしない。白石ファンとしては「次はグレイで出なきゃいけないんだよね。大変だ〜」と思いながら応援して観ていた。
*「にぶんのいち」
観劇日:2007年7月8日 マチネ
劇団宇宙キャンパス公演  作・演出:キムラ シゲオ 於:麻布die pratze
係者の芝居である。15年前にやっていればね、という青春真っただ中ものであった。
*「千里眼の女」
観劇日:2007年7月14日 マチネ
黒門町 公演  作:若菜トシヒロ  演出:狭間鉄 於:武蔵野芸能劇場
関係者が何人も出ている為、必ず観に行く「黒門町」である。おじさま俳優たちが素敵で、若菜氏の本も、毎回何を題材にするのか楽しみである。ただ今回はちょっと芝居のリズムが単調で、長い感じが否めなかった。
江戸の観劇日記 2007 その1
 一体いつから書いてないのだろう。去年の秋からだろうか。年末には全くこのコーナーの存在を忘れていた。3月公演の出演者に、「日記更新して下さいよ」と言われ、自分の芝居で忙しく、それどころではない、と答えたのは覚えている。それから更に3ケ月が過ぎようとしている。
 という訳で、去年に遡るのは、観た演目と観劇日を確認しているうちにまた数カ月過ぎてしまうといけないので、'継続は力なり' を座右の銘にしている私としては、手帳を頼りに(チラシはシェイクスピア作品以外3月に処分してしまった!)、観た事が一目瞭然のものを列挙し、去年書きおいたところから現在がつながるよう頑張りたいと思う。明日も芝居を見る予定だし、6月は関係者の芝居も含め観劇予定がつまっている。
*「終わりよければすべてよし」
観劇日:2006年11月12日(日)マチネ
劇団名: AUN  於:恵比寿エコー劇場 演出:吉田鋼太郎
 シェイクスピア作品の中でもあまり上演されない演目である。「尺には尺を」同様'問題劇' というカテゴリーに分類されているが、「尺尺」がここ四半世紀の間注目され、脚光を浴びているのに対し、本作品はなかなか日の目を見ない。タイトルの引用ばかりが有名である。ベッド・トリックが不人気の一つだが、中世的な、道徳劇的古い感じがする芝居である。
 演出を手掛けながらも吉田氏は、存在感と、カリスマ性溢れるフランス王を演じていた。この作品で一番興味深い役どころである道化ペーローレスには劇団員ではなく、文学座の横田栄司を起用していた。横田は魅力ある役者だが、このペーローレスはもう少し毒があった方が面白い。
*「タンゴ・冬の終わりに」
観劇日:2006年11月15日(水)マチネ
於:BUNKAMURA  演出:蜷川幸雄
 立ち見で観たが、冒頭とエンディング場面での群衆シーンのスローモーションがあまりに長く閉口した。しかも音楽はいつも聞く曲である。他の曲はないのか。
 初演も観たが、今回の堤真一は透明感があってよかった。しかし、別れた若い恋人役、女優という設定だが、初演時は名取裕子。今回は常磐貴子。いずれも悪声で聞きづらい。
音楽が全体に入り過ぎていてうるさかった。
*「ROPE」
観劇日:2006年12月20日(水)マチネ
於:BUNKAMURA 劇団名: NODA MAP
 年末最後の芝居はNODA MAP、というのが最近の恒例となっている。(実際には次の日に関係者の芝居を昼、夜と観に行ったが) 今回は脚本が意外に直球なので驚いた。もっと長くくねってほしい。それが野田秀樹の脚本の魅力ではないだろうか。
 渡辺えり子と野田の夫婦がよかった。
2007年1月-3月公演の稽古が始まり、加えて横浜での本番もあったのでさすがに何も観ていない。と思ったら、「コリオレーナス」を観に行っていた
*「コリオレーナス」
観劇日:2007年1月23日(火)ソワレ
於:彩の国さいたま芸術劇場  演出:蜷川幸雄
 稽古終了後与野まで行く。上演時間の掲示を見て、終演後家迄辿りつけるだろうかと心配になる。
 言わずとしれた蜷川ワールドが展開していた。ものすごい急かつ数のある階段を駆け下りたり上ったり、なぎなたを振り回したり、役者さん達ご苦労様でした。コリオレイナス役の唐沢寿明が一人で敵陣に切り込んで行き、戻ってくると矢が数本肩のあたりにささっているのを見て、矢ガモを思い出してしまった。出演者は声が割れていて、(さすがの吉田鋼太郎も)何を言っているのか分からなかった。白石加代子の存在感は他を圧倒していた。唐沢寿明は嫌いな役者ではないが、コリオレイナス向きではないと思う。
<2月>横浜での本番2本抱えての本公演の稽古。この月こそ、何も観なかった。
<3月>この月はバイトと、腰を痛めて針通い。下旬にボルネオ旅行。1本だけだがいい芝居を観た。
*「リターン」
観劇日:2007年3月22日(火)ソワレ
於:SPACE早稲田 劇団名:流山児★事務所 作:レグ・フリップ(豪州) 演出:流山児祥
最終電車の1車両という、狭い空間で数人だけの役者によるミステリーである。アングラは好きではなかったが(この作品はアングラではないが)、最近のTVドラマのような舞台に比べると、凝縮された空間と訓練された役者陣が実に小気味いい。
<4月>初旬は花見に明け暮れ、中旬は朗読会の台本づくり、稽古、本番
*「授業」
観劇日:2007年4月23日(月)16:30〜
於:下北沢OFFOFFシアター  作:イヨネスコ 監修:柄本明
密度の濃い作品であるので、ハプニングがあっても素になって笑うことは避けてほしい。
*「花咲く家の物語」
観劇日:2007年4月26日(木)マチネ
於:シアターχ マルセ太郎メモリアルシリーズ 演出:永井寛孝
 関係者の芝居として観に行ったが、感激して泣く。
<5月>体調をくずし、予約しながらも行けなかった芝居が何本もあった。
下旬になって観劇再開
*「薮原検校」
観劇日:2007年5月24日(木)マチネ
於:BUNKAMURA 作:井上ひさし 演出:蜷川幸雄  音楽:宇崎竜童
 またも長い芝居を立ち見で観る。しかしBUNKAMURAはさぞかし儲かっていることだろう。作品柄故か、結構年配の方の立ち見も多かった。女性トイレは悲惨だった。
古田新太の悪党ぶりを観に行ったが、全体に芝居というよりは語り部物語と歌、というつくりになっていて、物足りない感じがした。
*「犬は鎖につなぐべからず」
観劇日:2007年5月31日(木)マチネ
於:青山円形劇場  劇団名:ナイロン100℃ 原作:岸田國士
潤色・構成・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
 岸田國士の一幕ものをつなげたものだが、あらゆる意味で'うまい'舞台だった。ケラ氏のマニエリスティックな演出が岸田戯曲を際立たせていた。舞台の'魅せる'転換、和装衣装、舞台美術も粋だった。客演していた役者の中では特に「屋上庭園」の植本潤と大河内浩に泣かされた。植本氏の女形は好きだが、くたびれた鼠色のスーツを着て、卑下しきった男の姿を見ていると、岸田戯曲は決して古くないと痛感させられる。
 しかし、円形で¥6、000はちょっと高いのではないだろうか。
2006年の夏が終わろうとしている。残暑はまだ続きそうだが、TSCにとっての長い'夏'は終わった。
観劇日記もしばらく怠っていたので間が空いてしまったが、思い起こして書こうとするのは得策ではないと思うので、この夏の終わりの観劇から続けよう。
*「詩人の恋」
観劇日:8月29日(火)19時〜
作:ジョン・マランス 訳:小田島恒志
演出:久世龍之介 製作:加藤健一事務所
出演:加藤健一 畠中 洋
 加藤健一の芝居はこれまでに何本も観てきた。その度に彼のセリフ術、笑いのセンスには感心させられてきた。これほど翻訳劇の似合う役者は他にいないのではないだろうかとさえ思っていた。だが今回の舞台には'感動'した。落ち目の老声楽家マシュカンが、劇中何度も口にする「喜びと悲しみが同時にある」人物を見事に実在させていた。役作りの上で欠かせない声楽やピアノの特訓など(初演以来3年間続けていたそうだ)、並々ならぬエネルギーと時間をかけての取り組みが、マシュカンの耐えてきた歳月の表現に大きく貢献していた。そして何よりも、ハインリヒ・ハイネの詩16遍をつけたシューマンの「詩人の恋」の最後の歌を歌い終わったときー沢山の苦しみをつめた棺を川に捨てるーその時のマシュカンの目を、私は忘れないだろう。
みなさま 明けましておめでとうございます
今年も昨年にひき続き よろしくおひきたての程 お願い申し上げます
さて昨年の9月の15周年記念公演以来、観劇日記を記すのをさぼっておりまして、2、3回書かずにおりますとあっと言う間に年が変わり、早くも1月も20日を過ぎてしまいました。
昨日吉祥寺シアターで山の手事情社の「タイタス・アンドロニカス」を見ながら、「ああ観劇日記を再開しなくては。。。」と思っていたのでした。ですがそう若くもないので、無理な勢いで穴埋めをするのはやめにしたいと思います。現在次回の朗読会の為に「リア王」の翻訳もしていますし、風邪が流行っている昨今でもありますので(と腰がひけていて申し訳ないのですが)昨年末までに見た芝居のライナップをとりあえず行い、2005年と2006年の架け橋としたいと思います。橋をつくっておけば、往ったり来たりが今後自由にできるというものです。観劇日時も手帳をひっくり返していますとまた掲載が遅れますので、大体頭が覚えている順番で御容赦下さい。
*シアターX「泥棒論語」
 うちの公演の次の週だったが、お世話になっている花柳輔礼乃師匠の振り付け故馳せ参じた次第。昔よく鳥獣戯画を観に行ったので、知念さんが懐しく、まあ楽しめた。
*だるま座「星屑の町 パート1」
 TSCにもよく出演するヲトメ嬢が出演していたので観に行った。作品自体は初演の時に観ていたので、おじさん度を比べながら観ていた。う〜ん役柄によって様々であった。
*俳優座「湖の秋」
 何で観に行ったのか思い出せないが、おそらくマチネ公演があり、芝居を何か観たかったのであろう。
*2NKプロジェクト「じゃじゃ馬馴らしが馴らされて」
 本邦初演。シアターXさんのご好意により観劇。原作と同じように訳している、と噂には聞いていたが、役者たちがすごい勢いで喋り(その技術はすごいが)、セリフが日本語になっていないので非常に疲れた。
*パルコ・リコモーション「ダブリンの鐘つきカビ人間」
 タイトルにダブリンとあったので観に行ってしまった。お金と時間を無駄にしてしまった。
*風琴工房「ゼロの棺」
 メインで活躍している松岡洋子ちゃんが以前うちの「ヴェニス。。。」に出た事もあり、風琴工房は時々観に行っている。今回の舞台美術は突貫屋の杉山至。以前青年団に客演した時に共演したことがある。無機的でうつくしい舞台だった。
*シアターX・多和田葉子「脳楽と狂弦」
 作家の朗読のプロデュースをしていることもあり、シアターXさんのご好意により観に?聞きに行った。
*パルコ「メアリーステュアート」
 原田美枝子の芝居がいいのでびっくり。女王然としていて良かった。ただ二人とも(南果歩との二人芝居)声が割れぎみで残念。
*ラティガンまつり(自転車キンクリート)「ブラウニング・バージョン」
 俳優座の「セパレート・テーブル」を観て以来ラティガンファンになっていたので観に行ったが、本だけでなく役者も(内田春菊にはちょっと役が重荷だったようだが)なかなかよかった。さすがラティガン。演出も良かった。
*青年団「砂と兵隊」
 平田オリザの新作ということで久々にアゴラに観に行った。普通の不条理劇になっている、と新聞に評が載っていたが、同感。オリザの作にしては。。。というかんじである。設定が重すぎて役者たちには背負いきれていない感が強かった。
*「リタの教育」
 今すぐプログラムがみつからないのだが、「ピグマリオン」の現代版のようなストーリである。ただし二人芝居で二時間半、さわやかな終わり方はするがハッピーエンドでは決してなく、濃厚な人間のドラマがある。イギリスの作家は人間を描くのがうまい。役者たちも再演を重ねているそうだが、たいした集中力である。しかしOFF・OFFシアターはビルが改装したらトイレがなくなってしまったとは。。。
*RSC 「夏の夜の夢」
 観た方も多いだろう。光と影が美しく、視覚的にかなり凝った演出がなされていた。RSCの「夏の夜。。。」もこれで何本観たのだろう。初心に立ち返ったお金をかけない舞台も観てみたいものだ。
*NODA MAP 「贋作・罪と罰」
 私にとって2005年観劇の締めくくりとなった芝居だ。何年か前にも、やはり野田秀樹の芝居で締めくくった。「国性爺合戦」を帝国劇場で観て、あまりに感動したので、芝居仲間を誘ってもう一度観に行った。今回も野田秀樹の健在ぶりを示していた。元気をもらって新年を迎えた。
*ミュージカル '' Nine The Musical''
観劇日:2005年6月9日木曜日 マチネ
演出:デヴィッド・ルヴォー  於:天王州アイル
 普段なら日本でミュージカルはあまり観に行かないのだが、ルヴォーの演出なので、公演を控えていることもあり、何か刺激になるのではと遠方まで出掛けた。
 別所哲也は悪くなかったが、役柄上もう少しフェロモンが欲しかった。1960年代ファッションが小粋で、舞台美術とよくあっていた。それにしても宝塚パワーを見せつけられた舞台であった(大浦みずき、純名りさ)。愛人役の池田有希子も印象に残った。
「尺には尺を、」
観劇日:6月18日土曜日マチネ
作:W。シェイクスピア  演出:吉田鋼太郎  上演劇団:劇団AUN  於:サンシャイン劇場
 シェイクスピアの問題劇である。この芝居は私の修士論文のテーマであったし、TSCでもジァンジァンで1997年に上演している。よって書き始めればきりがないので一言だけ。これまで吉田鋼太郎のアンジェロは二回観てきたが、ようやく公爵を観ることができた。適役である。しかしこの芝居はその辺の喜劇とはわけが違い、難しいのである。
「銘々のテーブル」
観劇日:6月23日木曜日マチネ
作:Terence Rattigan 翻訳:小田島雄志  演出:原田一樹  上演劇団:俳優座  於:俳優座稽古場
 Well made play として有名なラティガンの芝居で、映画「旅路」の原作となった、ダブル・ビル形式の作品である。珍しい作品の上演ということもあり、当日券に並んだ。最近は当日券を確実に取る為には発売開始一時間前位から並ばないと無駄になることが多いので、早めに行ったが、並ぶ場所もなく受付テーブルの横に立って本を読んでいたら、俳優座の役者さん達が驚いて気の毒がってくれた。貫禄のある女優さんがイスを持って来て下さり、恐縮した。
 さて芝居はというと、(イスを貸してもらったからではないが)泣けた。臆面もなくラストで、最前列の補助席で泣いてしまったのである。第一部は簡単に言ってしまうと男女の三角関係の話で、まあ可も無く不可も無く上品な芝居が続いていて、何故か映画の吹き替えを観ているような錯覚に捕らわれた。だが第二部の、見栄っ張りで臆病な初老の男と、強烈な母親に連れ回され、自分の意見・意志を持つことを許されない臆病な娘を中心に展開する話が妙に胸に迫ってきた。まさにその人々が、そこに実在していたのである。
シビル役の瑞木和加子、ポロック少佐役の荘司肇に拍手である。
「花も嵐も旅芝居」
観劇日:6月25日土曜日マチネ
原作:マルセ太郎  脚本:COB工房  演出:永井寛孝  於:シアターX
 関係者が出ていることもあり、次回公演の劇場であるシアターXでの公演なので観にいった。大衆演劇は別に嫌いではない。安心して観ていられるし、けっこう胸がスッとすることもある。年配のあらゆる意味で達者な役者の先輩方を観て、自らを叱咤激励するのである。だがせっかくいい役をもらった若者よ、照れずにたっぷりとやってくれ。でないと、ゴムのヨーヨーに入った羊羹がつるんとうまく出なくて残っているような、そんな気持ちになってしまうのだ。
「メディア」
観劇日:2005年5月18日
作:エウリピデス  演出:蜷川幸雄  於:シアターコクーン
 シアターコクーンの芝居は総じて高いことと(アイドルなどが出演していて)チケットが取り難いのでなかなか観に行く決心がつかない。今回もチケット代が高いのでやめておこうかと思ったが、大竹しのぶがメディアを演じているのは是非とも観たかった。上演時間が短いと聞いたので、安い立ち見券を入手できればと劇場に向かった。
 今回の蜷川「メディア」は大量の’水’を使うので話題になっていた。蜷川氏の芝居は毎回演出が見せたい舞台の仕掛けと、役者たちの葛藤が痛々しく、観終わった後にはいつも、演出は役者の邪魔をしてはいけない、と肝に銘じるのである。無論TSCには蜷川氏の舞台ほどお金がないので凝った舞台装置などつくれるはずもないが、問題は演出がこだわる’シンボリズム’である。テキストの中から読み取るシンボリズムをやたらと全面に押し出すと、テーマパークの中のショーを観ている気分になってくる。今回も蓮の花が咲き乱れる池の中を登場人物たちがばしゃばしゃとやっていた。運命に翻弄される主人公たちの葛藤を、水によって動きがままならない物理的状況を創り出し表現したかったのかもしれないが、役者たちの体が冷えるのではないか、とそればかり心配になった。それと、何故いつも蓮の花なのだろう。私が覚えている限りでも、蓮の花がシンボリズムに使われたのを観るのはこれで三度目である。感想を簡潔にまとめよう。
1   いい役者が揃っていて、いい本があればもっとシンプルな舞台で見せてほしかった。
2   馬が実にうまい。アイドル男優たちを集めて上演した「お気に召すまま」の時にも思ったのだが、日本の伝統芸はすごい。人間がやっているのに本物以上に見事な芝居をする馬が今回も(無論池の中)登場した。
3   コロスたちの空気がうすかった。幼子を背負って池の中で右往左往するが、背負い紐を解き、子を抱き上げ嘆く芝居のときなど寒い感じがした。
4   乳母役がよくない。冒頭の長い嘆きのセリフ(かつ説明ゼリフ)は聞くに耐えない。「ああ」という嘆きの声にモヤッとボールを投げてやりたかった。
5   上演時間が短すぎる。ギリシャ悲劇やシェイクスピアはあまりテキストを刈り込みすぎるとドラマの’うねり’が失われてしまう。新訳も分かりやすい言葉使いではあったが、全体に軽い仕上がりだった。
6   最後に舞台奥の扉が開き、文化村の駐車場が見えるが、効果今一つである。これが’現代劇に仕上げた’ということなのだろうか。「好きだな、蜷川さん」と思ってしまう。(以前はよく芝居の最後に無数のテレビ画面を見せて終わっていた)学生時代にやったアングラ芝居を思い出してしまった。
以上、下手半分が見えないコクーン席¥4、500で観たが、やはり3階の立ち見¥2、000にすれば良かったと後悔した次第である。
「ああ三姉妹」
観劇日:2005年4月16日マチネ
作:若菜トシヒロ  演出:狭間 鉄  上演団体:黒門町  於:武蔵野芸能劇場
次回「ペリクリーズ」に出演してもらう紺野相龍・川野誠一両氏が出演している関係で観に行った。大体この福原氏率いる黒門町は関係者が出ている為ここ数年は欠かさず観ている。場所も武蔵野芸能なので自宅に近く、かつ以前は日舞の発表会やTSCを設立する前に所属していた劇団などで毎年お世話になっていた懷しい小屋なので黒門町観劇は花見の頃の定番になりつつある。思えば紺野氏の舞台を初めて観たのもこの黒門町であり、その後に2003年12月の「マクベス裁判」の出演依頼をしたのであった。  黒門町はご高齢の怪優福原氏の魅力故か毎回出演する男優人が年齢も芸歴も様々で面白い。だがどうも福原氏は女優陣を育てたいという深い愛情からか、女性中心の物語が多い気がする。(台本は大抵福原氏が大筋を考え作家に書いてもらうのだそうだ)今回は昭和初期の廓の話で、タイトルから推測されるようなチェーホフ作品との絡みは全くなかった。元アングラ役者であったそうな菅野氏のおばやん役が絶妙であった。紺野氏はいつも程出番がなく、ちょっと淋しかった。まあうちで大活躍していただこう。
「ゴンザーゴ殺し」
観劇日:2005年1月25日マチネ
作:ネジャルコ・ヨルダノフ 訳:中本信幸 演出:菊池准  上演団体:劇団昴
 シェイクスピアの「ハムレット」に登場する脇役を主人公にした作品では「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」が有名だが、「ハムレット」は スピン・オフものが一番多い戯曲である。この作品は観たことがなかったので(5月の朗読会はハムレットがテーマということもあり)久々に東京芸術劇場に 足を運んだ。 ’ゴンザーゴ殺し’とは、ハムレットが旅回りの一座に注文する芝居のタイトルである。彼が疑うところの叔父による父王殺しの設定に似ているため、叔父 王クローディアスの前で上演させ、その反応をみようという趣向である。 本作品はその’ゴンザーゴ殺し’を上演する一座を中心に書かれている。それともう一人、ハムレットの親友ホレイシオが謎の鍵りながら舞台は進行する。 本編の中でもホレイシオは実に謎の多い(というかご都合主義に書かれていて演じづらい)人物なので、そこに目をつけ、宰相ポローニアスもノルウエイの フォーティンブラスと通じているという戯曲の構造は’なるほど、やはりそこか’と思わせる。だが残念ながら舞台からは政治の渦に呑み込まれ、’スパイ’の烙印を押される一座の滑稽さ、哀しさはあまり伝わってこなかった。いや哀しさは、ブルガリア出身の作家が狙うところが想像できたのだが、なんとも舞台全体がカタイのである。無論シリアスな芝居だが、戯曲のリズム、ユーモアも全部封じ込めたようで、後半に入ってのスピード感もなく、観た後には疲労感しか残らなかった。座長夫人役はいつの時代の芝居?といったかんじで、思わず目を伏せてしまった。 今年最初の観劇としては暗い幕開けであった。
ブレヒト三作
観劇日:2005年2月15日マチネ
「三文オペラ」 上演団体:劇団俳優座 紀伊國屋サザンシアター
観劇日:2005年2月9日マチネ
「コーカサスの白墨の輪」 主演:松たかこ 世田谷パブリック・シアター
観劇日:2005年4月7日
「母アンナ・フィアリングとその子供たち」 シアター X ブレヒト演劇祭
 この三作の中で、特筆すべきは「母アンナ。。。」であろう。千秋楽に久しぶりの桟敷席でお尻の痛みに耐えながらの観劇であったが、舞台美術、音楽が素 晴らしく、イスラエルの演出家ルティ・カネル氏に脱帽、といったかんじであった。久々のヒットである。芝居はなかなか面白いものにあたらないところが辛いが、一ついいものを観るとその喜びは大きい。 吉田日出子は久しぶりの舞台のせいかそれとも疲労のせいか、セリフのトチリが多く、歌を歌うときのカンペが気になったがチャーミングな肝っ玉母さんで あった。何役もこなすまわりの若手俳優たちもみな達者で観ていて小気味よかった。だがなにより、カネル氏のモノの扱い方が見事だった。「ああなるほど ね、お金があればね」という演出ではなく、完全にアーティスティックな独創的な舞台づくりであった。
 他の二作に関してはあまり言うことはない。ブレヒトの魅力が今一つこっちにこない、というのが正直なところである。特に「三文オペラ」は、皆さん声も いいのだが、芝居のリズムが悪く、年配者や関係者の多い客席に向かって「ね、大変だけどやりましたよ私たち」というメッセージしか感じられなかった。歌 に入ったり、終わったあとの何気ない一呼吸が実にダサイ。こういうところはロンドンの舞台だと、なんでもないところでゾクゾクさせてくれるのに、と思わずにいられない。加えて役の浅さを失礼ながら感じてしまった。ヒロインの父親役など、とてもやり甲斐のある面白い嫌な役だと思うのだが、一体全体どういう人物なのか、行動の動機が全然見えなかった。 全体に良家に育った人たちによるリズム感の悪い芝居、といったかんじであった。
 「コーカサス。。。」は松たか子は悪くないし、串田氏もああいった芝居づくりには慣れているのだろうが、劇場が大きすぎたのかなあ、といった気がした。出演者たちが色々楽器を演奏できるのは楽しいし、笑いどころも捉えていたし、舞台のスピード感もあったのだが、ブレヒト劇に必要な濃密さ(例えばコンプリシテにあるような)が今一つ劇場を埋めきれていなかった。日本は平和だということなのだろうか。 総じて補助席で¥8,800は高い買い物だった。